令和元年
災害ボランティア
活動レポート

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スペシャルインタビュー1
東北大学SCRUM 野村俊介さん

台風19号が猛威を振るった直後の10月14日から、宮城県伊具郡丸森町に40回近く通い、活動をし続けている野村俊介さん。自身も所属する東北大学SCRUMの丸森町における活動のうねりの中心となって、仲間を巻き込んで、現地に足を運んでいます。彼をかき立てるものは何なのか、現地で活動して何が見えてきたのかを伺いました。

東北大学SCRUMとは

2011年6月に設置された東北大学東日本大震災学生ボランティア支援室を引き継ぎ、2017年4月から活動する課外・ボランティア活動支援センター。東日本大震災はもちろん、熊本地震や西日本豪雨などの緊急時の災害ボランティアや、貧困家庭の子ども支援など日常的な地域課題に取り組むボランティア活動を総合的に推進しています。SCRUMは、東北大学課外・ボランティア活動支援センターのボランティア支援学生スタッフの愛称です。「被災地の方々と学生とで肩を組んで、復興へ向かっていきたい」という想いから、“SCRUM”という愛称となりました。岩手県「ぽかぽか」、宮城県「インクストーンズ」、福島県「福興youth」、国際部、震災伝承部などのプロジェクトが被災地や大学などで様々な活動を行っています。

野村俊介さん

1998年山梨県生まれ、東京育ち、東北大学工学部2年。大学入学後に、インカレサークルTSALL東北にて環境保全ボランティアに参加、SCRUMでは震災伝承部代表として活動。

活動のきっかけ

Gakuvo

活動を始める事となったきっかけを教えてください

野村さん

10月12日から13日にかけての台風19号の被害については気になっていました。10月14日に、東北大の教員、学生と一緒に丸森町に行くことになり、支援物資として飲料水を買い込んで現地で配りながら住民の方にお話を伺いました。現地を歩いて、住民の方と実際ふれあってみて、最初の接点を持てたのは良かったです。飲み水1本ですが、感謝していただけました。翌日からも、災害ボランティアセンターの立ち上げ準備をしました。ボラセンができる場所の一階の泥水出し、藁やごみが溜まった駐車場の清掃とゴミ出し、ボラセン設立のための室内の準備、救援物資の運搬などです。その後も様々な活動をすることとなりました。教員の方の車で、僕だけではなく仲間の学生たちと現地に通い始めました。

Gakuvo

授業もある中での活動は大変だったのではないですか?

野村さん

大変でしたが、何とかやりくりしました(笑)。仙台から丸森町までは1時間強で行くことも出来るため、基本的には日帰りで、週2回程度で通っていました。

野村さんは単にボランティアとして活動するだけではなく、SCRUMをはじめ東北大学の学生を現地に送るべく動いていた。毎週木曜日に開催されていた丸森町災害情報共有会議にも頻繁に参加して、支援に入っている団体と関係性をつくり、状況の把握にも務めた。どの地域でどんなニーズがあるかを見極めて、仲間とともに活動をしていった。

活動現場

Gakuvo

どんな活動をしていたかも教えてください。

野村さん

被害の大きかった地域で瓦礫の撤去、泥かき、家財道具の運び出し、壁剥がしなど、いわゆるハード系の活動はもちろん、これまでSCRUMで行っていてノウハウのあった足湯を避難所で実施しました。一つの場所に長く関わるという事で言うと、中島天神社、通称猫神社の整備があります。

Gakuvo

猫神社の整備には、Gakuvoが公募したチームながぐつプロジェクトも関わりました。

野村さん

はい、地域の方々と協力して、現地に入っているNPOスマイルシードの指導のもと、どんどん整備をしていきました。当初から比べると、だいぶ片付いてきましたが、まだまだやることはあります。

深く地域に関わっていく

Gakuvo

年末も活動していましたよね。

野村さん

年末、災害ボランティアセンターは一般ボランティア募集をしていませんでしたが、災害ボランティアセンターの運営をサポートしているOPEN JAPANやスマイルシードといった団体に協力してもらい、活動しました。東北大学の学生は県外出身が多く、年末に帰省するところを「1日だけ遅らせて!」とお願いして、仲間を募りましたね。

Gakuvo

2月後半に1週間近く、丸森町に宿泊して活動していた時のことを教えてください。

野村さん

これまで、4日間連続して活動する事はありましたが、基本的に単発の活動でした。そんな中、Gakuvoの方と相談して、春休みを活用して、現地で泊まり込んで活動をすることにしました。 泊まり込みで丸森と関われば、現地住民の方や現地にずっといらっしゃる支援者のみなさんと、より繋がれて、より色んな事が出来るんじゃないか、より濃い支援活動が展開出来るのではないかという期待もありました。泊まったのは、現地で支援も行っているOPEN JAPANのベースでした。

Gakuvo

これまでと違った役割も担ったとか。

野村さん

OPEN JAPANの方に「せっかく泊まり込みで来たんだから、参加する側からつくる側に回ってみよう」と提案してもらい、朝礼終礼の司会や大人の団体さんを受け入れた際の現場リーダーもさせてもらいました。

野村さんの8日間の活動は、以下の通り。

  • 2/15 東北大3名と共に竹谷地区でお宅の窓や窓枠の清掃
  • 2/16 中島天神社で景観再生のための椿を植える作業
  • 2/17 ボラセンの倉庫にある支援物資のタオル整理、神戸大学やCONCENTと共に鳥屋集会所と大館仮設でのサロン活動
  • 2/18 竹谷、上林地区の家財回収と上林地区のお宅の壁剥がし作業
  • 2/19 重機隊と共に大張地区にて裏山の土砂撤去作業、ユンボでかき出した泥の中の木やガレキ出し
  • 2/20 現場リーダーとして、全管連と活動、五福谷川沿いの空き家で床下の泥出し、
  • 2/21 スマイルシード、四つ葉と共に花田仮設にてサロン活動。タオルエプロン作りに足湯と手もみ、カレーとたこ焼きの炊き出し。
  • 2/22 東北大5名と共に17日の倉庫の支援物資整理の続きと、JEN主催の防災ワークショップイベントのお手伝い

活動から見えてきたもの

Gakuvo

泊まり込みの活動を振り返って、どんなことを感じますか?

野村さん

現地に繰り返し足を運んで活動したり、多くの学生を連れていき、支援活動を行ったりというのも必要ですが、現地側でそういったボランティアを受け入れる役割がないと災害救援活動は成り立たないなぁと強く感じました。OPEN JAPANでは、ニーズ票をもとに現場を見て住民さんと会話をし、優先順位や住民さんの意向をもとに作業内容を決め、それをもとに人数や現場に持っていく物品を決め、ボランティアをアテンド、活動後に報告をして、次回の活動計画を立てるといった活動の流れがあります。この一連の過程を現場側で行う人材が必要であると感じました。

Gakuvo

特に学生がそういった役割を担うことの意義も感じていますか?

野村さん

社会人とも、こどもとも違う、ニュートラルな存在である学生が果たし得る役割があると思います。住民さんと繰り返し話し、寄り添いながら支援活動をつくっていくことで、当日行き当たりばったりの活動とは違う、住民さんとの顔の見える信頼関係とともに、住民さんの意向に沿った支援が展開できると感じました。長期的に被災地に関わる学生の必要性を大いに感じました。

野村さんには、飾ったところも気負ったところもない。何処に属するかは関係なく、そこに助けを必要とする人々がいるのであれば、当たり前のように準備し、行動し、ボランティアに参加する。大学の授業もしっかり受けながら、日帰りで、時には泊まり込み、1時間以上もかけて移動し、さらに周囲を巻き込みつつ、40回以上もボランティアに参加する行動力というのは、学生という現実からは逸脱しているのかもしれない。それが彼にとっては『普通』のことになっていったのだろう。「社会人とも、こどもとも違う、ニュートラルな存在である学生」という言葉がとても印象的だった。

関連サイト

THE NIPPON FOUNDATION