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学生ボランティア派遣

201907/25(Thu)
[災害支援] ボランティア活動レポート

チームながぐつプロジェクト第197陣 福島県いわき市行き 活動報告

期間:2019年6月28日(金)~6月30日(日)

場所:福島県いわき市

活動内容:

1 日目: オリエンテーション~高速バスでいわきへ(車内で夕食)~ミーティング

2 日目: 朝食~長源寺〜いわきオリーブハウスにて農作業(途中昼食)~入浴・夕食~振り返りミーティング

3 日目: 本宅の清掃+朝食~富岡町楢葉町視察~浜風きららにて昼食〜高木さんのお話~3日間振り返り~いわきオリーブの清掃~松崎さんのお話~高速バスで東京へ(車内で夕食)~東京駅にて修了式をして解散

※太文字部分は、参加者が日程終了時に書いている報告書の中から抜粋したものです。
 掲載した文章は全文でないため、ご本人の意図と若干異なる場合がございます。ご了承ください。

 

6 月 28 日(金)[1日目]

虎ノ門でオリエンテーションを行い、東京駅から高速バスでいわきに向かいます。

 

いわきに到着し、ミーティングを行いました。

翌日のスケジュールを確認した後、参加動機を含む自己紹介を行い役割分担を決めて、
その後チームのコンセプトを話し合い『(Kyou)3(On)2 〜響・協・共   /音・恩  〜』と定めました。

ミーティングを終え宿泊先に移動し就寝。

6月 29 日(土)[2日目]

朝食、片付けを済ませて朝のプチミーティングを行った後、長源寺へ。

栗山さんのお話を伺いました。

震災当時のご自身やご家族の様子から支援Pを通じてボランティアセンターや避難所での活動に関わるようになった経緯、いわき市での双葉郡からの避難者との軋轢などについて聞いた後、震災当時の寒い避難所での動けない苦しみやプライバシーのない空間での苦痛を体験する座禅を行いました。

栗山さんは、子供との連携が取れておらず反応に遅れてしまったと仰っていた。農村部に地域コミュニティが根深く残っているというのは、国の願望であり理想であったのかもしれない。

 

地域コミュニティーの活性化が大事だと栗山さんが仰っていましたが、災害が起こった時に助け合えるような仕組みが必要だと私も感じました。

 

私はどこか他人事のように思いながら福島に来たことへの罪悪感にさいなまれながら、活動に参加をし、その中で自分自身の考えをこの期間で改め直すことが出来たと思います。長源寺で栗山さんのお話を聞き、ボランティアは人の苦しみを癒せるのかについて考えました。大勢の人が他県から被災地のために何かしたいと思うことは、確かに良いことかもしれません。しかし、被災地の方は家や家族を地震や津波によって奪われ、悲しみの中にいる状況です。(中略)私たちボランティアは、それを共感することは出来ないと思います。なぜなら、それはその苦しみを経験した人にしか分からない気持ちだからです。そうであるならば、ボランティアは何が出来るのだろうか、その点について私は考える必要があると思います。

 

栗山さんのお話の中で被災当時にボランティアに来た看護師の方が避難所で被災者の方に声をかけると怒鳴られていたということがあった。看護師の人がその地域出身だということを話すと怒りが収まっていた。という話を聞いて同じ体験をしていない人に対しては被災地の人のあたりが厳しいんだなと感じた。反対に同じ体験をしている人には心を開いているなと感じる事が多々あった。同じ被災者同士で共感でき、被災者同士の団結力が強まるのはとても良い事だ。しかし、支援者の立場からすると被災者同士でしか心を開かないので被災者でもあり支援者でもある人を頼って支援する。という構造が成りたっているために被災者でもあり支援者でもある人たちの負担はとても大きいものではないだろうかと思った。被災者でもあり支援者でもある人たちの支援をすることも被災地支援の重要な役割なのかもしれないと考えた。

 

つづいて、オリーブハウスに移動し長靴にはき替えて作業に着手。

まずは木田さんからオリーブプロジェクトのお話を聞いて、
木田さん松崎さんと一緒にハウス内の草刈りと苗木の虫取りを行いました。

ランチタイムや休憩時間には松崎さんとお話。

夕方まで作業を行い最後にハウス内を掃除して終了しました。

オリーブ畑では、20歳の私でもかなりの疲労を感じるほどの労力が必要となった。それを、お二人でやられているとなると毎日の業務の厳しさを考えることは容易い。風評被害の話も聞き、やはり原発と農業品の問題は根深く連関していることも改めて感じた。(中略)オリーブの木に着く虫を除去する作業を行っていて、これを1人で行うのは相当な孤独を感じるのであろうとも思った。それでも福島に残る方々に、どのようなボランティアが必要で我々が目指すべき本当の復興とは何かを考えたい。

 

入浴・夕食を終えて、振り返りミーティングを行いました。

良かったこと、反省すること、明日に向けて思うことなどについて自由に話し合い、意見を深めることができました。また、ビブスを着る意味を確認し、翌日の視察に備えて双葉郡の位置関係の確認、放射線の基準の話などを聞いて、ミーティングを終了して就寝しました。

 

6月30日(日)[3日目]

朝食と清掃を済ませ駅へ。駅では、地図を見ながら今日の視察先について簡単に位置関係の解説があり、
JR富岡駅へ移動しタクシーに乗って視察に向かいました。

視察ルートは、富岡駅~津波被害の残る家〜国道6号線沿いの被災したまま放置されている店舗〜夜の森桜並木〜夜ノ森駅〜リプルンふくしま〜セメント固形化処理施設~第二原発西門~天神岬公園〜ここなら笑店街~JAEA~オフサイトセンター~Jビレッジ~久之浜・大久ふれあい館

タクシーの運転手さんで元・福島第一原子力発電所で働いていた方と震災後ずっと除染の人などを運んでいたお二人や、リプルンで解説していただいた富岡出身の方などのお話を聞きながら、浜風きららに到着。

浜風きららで昼食をとったのち、震災当時の様子や復興に向けてのお話を聞きいくつかやりとりをして、久之浜を後にしました。帰路の紅葉町公園に線量計があることも見ながらいわきオリーブに戻りました。

 

3日目の富岡町・楢葉町の視察は、被災地の現状を肌で感じることができました。道路にバリケードが張ってあり、震災後放置されていた町はまるで非現実でした。しかし、天神岬公園から見た景色をふりかえると、まだまだ元通りとは言えませんが、確実に前に進んでいると私は感じました。ボロボロになってしまった民家などを見て、実際に被害にあわれた方々の痛みを少しだけ感じられました。

 

テレビなどのメディアやSNSなど様々な情報が交差する現代の中で何が正しいか何が間違いか、活動の中で自分が知っていたメディアからの情報と、現地の方々からのお話の中でズレが生じているのではと気づいたことが何度かあったので、ただ聞いたことをうのみにするのではなく、物事の本質も見抜いて、浜風きららの高木さんも仰っていたように、事実が正解か読み解く力、迷うよりも決める力を大切にしていきたいです。

 

振り返りミーティングでは一人ずつ3日間の振り返りを話し、総括を行い最後のミーティングを終了しました。

滞在拠点の清掃を行い、残りの自由時間で報告書を書きつつ松崎さんとお話をしていわきオリーブを後にしました。

色々な方に話を聞いたことで、被災された方々は精神的に大きなダメージを受けると感じた。精神的につらいというところで、他県からきたボランティアは、ストレスの要因になりかねないと考えた。ボランティアのあり方とは何か考えた時に、第一に支援者と被災者ではなく同じ人間であり対等な立場であることを意識することが重要である。相手を理解しようと努めたり時には傾聴することが大切であると学んだ。相手に寄り添うことは同じ経験をしていないボランティアには難しいとは思うが、そこをあきらめてはいけないと考えた。

 

富岡町での視察、オリーブプロジェクトを通じて、地域の人々が復興は進んでいると感じていることは知ることが出来た。しかし、本当に地域の人々が望んでいる復興の姿なのかと疑問をさらにもった。人々の生活が時間とともに進み、町に人々の生活の営みが見えるようになったが、本来町に雇用、医療、教育をもたらすような働き世代は帰還しておらず、解決は困難である。行政を含めNGO等も、災害急性期の段階から、地域力をもとにした復興策と災害対応策を推進しなくては、いわき市のように本当に地域の人が望んでいる復興なのか疑問視され、何より町民が「自分の地域に住む」という選択をしない結果となってしまう。タクシーの方が、「なぜ町に帰ることを選択しなかった人のために新しい家を便利な土地に建てる補償を国や東電はしたのか。街に帰って、生活を立てなおそうと努力している人でも津波被害だったらお金は出ない。」とお話してくださった。そこには、地元を愛し、地元で生きることを選択した自分たちこそ、認めて欲しいという思いを感じることができた。

 

お話を聞いた方のほとんどが前を向いているにしろ何か心残りやわだかまり、不満や不安をもっているように見えました。表面上の復興だけではなく、心の側面からの復興が今だからこそ必要だと思うし、そういった面は私にでも何かできることはあるのかなと思いました。

 

予定通りに東京駅に到着し全員が報告書を提出し証明書を授与して解散しました。

 

 

街が元に戻り、また人が住めるようになり、もちろん今住むことが出来ない方々にとって、それが完成されたからといって、過疎化は進んでいくであろう。復興のその先を見据えてこれから、ボランティアに取り組みたい。自治体職員を目指す身として、これからの防災対策に役立て、学ばせて頂いた福島県に少しでも恩返しになればと思う。

 

被災地の力になりたいと考え、今回のプロジェクトに参加したが、慣れない寝袋の生活に苦戦したり、短い睡眠時間にかなり体力をうばわれた。何より、慣れない農作業が体力的にもたった半日だったがきつかった。今回の体験で自分のボランティアに対する意識の甘さを身をもって感じたので、あらためてぜひ機会があればボランティア活動に参加したい。

 

事前に地名や位置関係を知ることによって地元の方のおはなしが聞きやすくなり、予備知識が大事であると思いました。そのため、ボランティアをする時も、どうしてこのボランティアはあるのか目的を認識したり、被災地が求めているのは何かを考えたりしてから参加すべきだったと思います。災害ボランティアは初めてで、どこまで踏み込んだ質問をしていいのか、ボランティアと被災者の対等な関係とはどういう状態かが上手くつかめなかったので、次回からは双方向の会話が出来るようにしたいです。

 

東日本大震災から8年経った今、私はこのボランティアに参加し、この3日間という少ない時間で大きく成長することができた。

8年前、私の地域でも揺れを感じ、テレビを見て恐怖を覚えたのを鮮明に覚えている。当時は他人事のように思っていたが、こうしてGakuvoのボランティアに参加することで、学べたことは絶対に今後の糧になると確信している。

 

 

いわきの皆さん、ありがとうございました。

197陣に参加して下さった皆さん、引率の小寺さん、お疲れさまでした。

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