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ジャーナル

“戦後生まれ”が繋ぐ記憶 ~平和を紡ぐ人~

私たちは、被爆者から直接被爆体験を聞ける最後の世代と言われている。
そう遠くない未来、その機会は永遠に失われてしまう。

忘れてはいけない歴史。進んでいく毎日。
今を生きる私たちにできることは何だろう。
その答えを探すべく、次世代の先駆者として戦争を語り継ぐ楢原泰一さんにお話を伺った。

楢原さんは東京で仕事をする傍ら、ヒロシマピースボランティアや被爆体験伝承者として戦争の歴史を多くの人に伝えている。そんな楢原さんは、私たちと同じ「戦後生まれ」だ。
取材前、記者二人は直接被爆体験伝承講話を伺うことができた。あの日の事実を丁寧に言葉に重ねていく楢原さんの姿に、見えない被爆者の姿が重なるようだった。
東京在住、会社員、そして「戦後生まれ」。広島や戦争とは遠くに在りながらも、被爆体験伝承を続ける想いに迫る。

「観光気分」がはじまりだった

りょう:楢原さんが活動を始めたきっかけについて教えてください。

楢原さん:大学生協で毎年PeaceNow!という戦争について学び合うイベントを行なっていて、広島で勉強する会があったので応募してみました。広島に叔母が住んでいたのも良いきっかけでした。知り合いがいるというのは行く動機になりますよね。どちらかというと、観光気分みたいな軽い気持ちだったかもしれません。その時、広島でお会いした被爆者と約束をしました。自分にできることを始めよう、と。それから、毎年8月6日には広島に行き必ず式典に出ていますね。

企業に就職した後も広島で、戦争についての学習会や勉強会に積極的に参加。被爆者との約束を果たすため、楢原さんは一人広島へ足を運び、学ぶことを繰り返した。

「学び」をシェアする。

楢原さん:会社に入ってから、労働組合の仲間を連れて、広島でセミナーをやりました。千載一遇のチャンス。まさにインプットしてきたことをちゃんとアウトプットする機会がきたんです。やってみると参加者の反応がすごくよくて、これが自分のやるべきことなんだと感じ取りました。

思いのたすきを渡す人、貰う人。

広島と東京という距離、そして「戦後生まれ」というハンデを抱えながらも活動を続けられた影には、広島の人の助けがあった。

楢原さん:そのセミナーとほぼ同時にヒロシマピースボランティアの募集があったのですが、「本当にできるの?どっちみちすぐ辞めちゃうよ。」みたいなことも言われて。でも、すでに活動をしていた女性が僕の背中を押してくれて、思い切って飛び込めました。

いままでやってきた中でいえることは、支えられてきているから今がある、ということ。
私に会うといつも声をかけてくれる人もいました。なんて声をかけてくれていたと思います?

りょう:うーん……『よくきたね』?

楢原さん:そうでしょ?そう思うでしょ?(笑)「あんた馬鹿ね」って、いつも言うんです。あんたは馬鹿がつくくらい一生懸命やっている、ってことです。僕にとって、良き理解者の方々に恵まれました。

楢原さん:中国新聞の原爆に関係する記事を、五日分まとめて東京に送ってくれる人もいます。

とにかくいろんな人に支えられてなんとか自分がある、という感謝の気持ちでいっぱいです。だからこそ、その支えてくれている人達に、中途半端なことは絶対にできない。思い半ばで亡くなっていった人が私の知っている人でもたくさんいる。そういう人たちに対して、思いを受けてちゃんとやっていますよって言えるように活動は続けたいと思っています。

繋ぐのは時間だけじゃない。

もえか:楢原さんは現在、東京の国立市が行っている伝承講話のアドバイザーをされていますよね。東京での活動を通じて何か意識していることはありますか?

楢原さん:広島と東京の架け橋になろうということにずっとこだわっています。私が広島に通い始めてからピースボランティアになるまでは、ずっと一人で、情報も全然入ってこなかった。もし私のそばにアドバイザーみたいな人がいたら、もっともっと知れて、いろんな機会を得られるということを強く感じたんです。東京の人たちも広島の情報が得られる。逆のこともあります。広島の人たちが東京に勉強しにくるときに、どこを見たらいいかわからない。東京大空襲の傷跡も東京にもいくつもあるわけです。そうした情報をお互いに共有することも含めて、まさに架け橋。広島に行きたい人がいたら、アナウンスをする、東京に行きたい人がいたらアナウンスをする、その架け橋になりたいなと思っていろんなことをやっています。国立市の活動に関わり始めたのも、それがきっかけですね。

「おじちゃん、この話はほんとなの?」平和な時代に「戦争」を伝えるということ

もえか:取材前の講話で、以前中学生に原爆が落とされた日を聞いたら答えられたのは一人だけだった、とおっしゃっていましたよね。戦争を知らない人に向けて歴史を伝える、という活動の中で実際に戦争体験の風化を実感することはやはりありますか?

楢原さん:今から1年くらい前に東京のある小学校で講話をした時、終わった後にある子供が僕のところにきたんですよ。で、なんて言ったと思います?「おじちゃん、この話は本当なの?」って聞いてきたんです。73年前のことなので子供達は、異次元のこと、自分たちの生活とは関係ないことと受け止めかねない。
戦争に対しての知識の風化が進んでいることは間違いないし、子供達も非常に多様な受け止め方をするからこそ、私たち伝承者はそれを肝に命じて子供たちのことをちゃんと分かった上で伝えていかなければならないとすごく感じました。

取材前にしていただいた講話でも私たちの身の回りのものに例えながら、わかりやすい表現で話してくださる楢原さんの言葉が印象的だった。

大人から子供へ

もえか:先ほどのエピソードのように、今後時間が経つほど、戦争を知らない子供たちは増えていきますよね。そういった状況になりつつある中で、思い描く社会の理想像はありますか?

楢原さん:過去のことをちゃんと学ぶ、きちんとみんなが学べる社会が望ましいんじゃないかと思っています。教える環境を整える、機会を子供達に作る、それが大人の役割だと思うんですよね。学校の先生、地域、それから大人がやって欲しいなと思いますね。

土地を感じる。人と出会う。「自分ごと」で考える。

りょう:では最後に、これから大学生にどんなことができるか、教えていただけますか?

楢原さん:ぜひ日本の過去を学べるところに行って欲しいです。広島もそう、長崎もそう、沖縄もそう。
それと、自分たちが住んでいるところの過去を学んで欲しいです。過去にあったことを学ぶために、その場所に行って学んで欲しいと思いますね。
その上で、そこで感じたことを国内外に発信していってもらいたい。みなさんの発信力を使っていろんなところに発信して行けば、大きな力になって行くと思います。

もえか:本で学ぶのと実際に足を運ぶのとでは大きな違いがある、ってことですよね。

楢原さん:はい。「百聞は一見にしかず」です。
広島に行ったら、まず広島の風を感じながら、広島の人々と出会ってみてください。中には被爆者もいます。そういう人と顔を合わせ、コミュニケーションを取ると、本では一方通行だったのが、双方向になる。
例えば、広島城の中にある広島護国神社の鳥居は爆心地の方に向いてるところだけザラザラしてるんです。でも反対側はツルツルしてる。それは、本やネットやビデオでは感じられないことなんです。そうした経験を得るためにも広島に行って欲しい。そういう風に意識して行くと、「物がこういう風に変化するんだな」「もしここに自分がいたら自分の顔もそうなるんだな」って感じられる。だからこそ、ぜひ行って欲しいと思います。

戦争を知る世代。知らない世代。
広島で生きる人。東京で生きる人。
子供、大人。学生、社会人。

歴史の一部を生きる者として、境遇を言い訳に戦争を知らないままでいるのはもったいない気がした。

隔たりを超えて、知らない過去に出会う。きっとそこで、私達は新たな一つの未来を見る。

ご協力

楢原 泰一 さん
東京都在住。明治学院大学法学部政治学科卒業後、百貨店へ入社。
2009年よりヒロシマピースボランティア、2015年より被爆体験伝承者として活動。
2017年からは、東京都国立市「くにたち原爆・戦争体験伝承者」アドバイザーを務める。
広島平和記念資料館 被爆体験伝承者 ヒロシマピースボランティアとは
ボランティアスタッフが、広島平和記念資料館の展示解説や平和記念公園及び周辺の慰霊碑等の解説をしてくれます。
http://hpmmuseum.jp/modules/info/