チームながぐつプロジェクト第132陣 福島県いわき市行き 活動報告
「大学生ボランティア隊」派遣【第132陣】
期間:2016年2月12日~2月15日
場所:福島県いわき市
活動内容:
2月12日 オリエンテーション
2月13日 視察・長源寺
2月14日 いわきサンシャインマラソンボランティア
2月15日 オリーブプロジェクト・掃除
太文字部分は、参加者が日程終了時に書いてる報告書の中から抜粋したものです。
※掲載した文章は全文でないため、ご本人の意図と若干異なる場合がございます。ご了承ください。
2月12日
日本財団ビルにてオリエンテーション。
東京駅からバスでいわきへ。
有賀さん宅に着くと茶道のお稽古中でした。お稽古後少し作法を教えていただきお茶をご馳走になりました。
その後、なぜ今回ボランティアに参加したのかをひとりずつ話した後、夕食の準備をし夕飯をいただきました。
寮に移動し翌日の予定確認。「被災地デイズ」を使いクロスロード(災害対応学習)を行いました。
茶道の体験をすることができ、伝統文化を学ぶことができました。初めてグループのメンバーと夕食の準備、そして食事はみんなで協力でき、食事の時は雑談をし板倉さんを始めメンバー10人と楽しく話すことができました。男女共に隔たりなく関われ、めずらしいことだと思いました。
被災地デイズを元にYesかNoかで意見が分かれ、白熱した議論となりました。個人的に質問文を見て感情的になってしまった部分もあったが、様々な状況をイメージして答えを導き出そうとしたのは良かったと思う。
2月13日
有賀さん宅で朝食。
富岡町、楢葉町方面を視察。
運転手は山内さん、大和田さんでした。
今回は福島第一原子力発電所1.5km手前まで連れて行っていただきました。
からすや食堂さんにて食事。
有賀さんがいらしてくださり餃子をご馳走してくださいました。
早く食事を終えた学生は電気屋さんで震災当時のDVDを見せていただくことができました。
その後被害のあった久之浜沿岸のかさ上げの様子を足場に上り見学させていただきました。
電車を1本遅らせ高台にある神社へ向かいそこからも久ノ浜の現在を見させていただきました。
神社から駅へ向かう途中、広野オリーブプロジェクトのお手伝いの際お世話になった吉川さんに偶然お会いし、震災当時から現在のお話などを伺うことができました。
吉川さんの話や経験も貴重であり商店街の居心地の良さ、支援には色々な形があり「お金で物を買う」ことも支援の形の1つであると分かりました。
被災地の現状を目の当たりにして、大変衝撃的であった。震災の被害がどれだけ甚大であったか、どれだけの人が被災して苦しんでいたのかをようやく真に理解し、それは実際、現地に行かないと分からないことだらけであったので、そういった意味で、大変貴重な体験をできたと思う。その一方で、自分は今まで、どれだけ震災に対して無知であったかを痛感することになった。
自分の思っていた、被災地の現状と大きく異なっていて驚きがかくせないのと、言葉を失いました。「5年も」ではなくて「5年しかたっていない」という考えに変わり、解体中の家や解体予定の家が、まだまだたくさんあるということが分かりました。苦いイメージだと思っていたが、明るく笑顔でいる姿を見て、見習うべきと思いました。多くのことを知ることや共有することでボランティアや人生に変化をもたらすことができました。
14:13の電車でいわきへ移動。
有賀さん宅でひな人形を出すお手伝いをさせていただきました。
有賀さんのアドバイスを受けながらきれいに飾ることができました。
16:30から長源寺に移動し栗山副住職から震災当時と今現在の問題などのお話を3時間ほど伺いました。
栗山さんから聞いたお話では「心の格差」がとても印象的で、震災の爪跡の大きさに驚くと共に胸が痛みました。今後は地域イベントへの参加などを通じて人々の心の格差を埋めるボランティアを是非してみたいと思います。
途中翌日のサンシャインマラソン参加者で以前ながぐつプロジェクト115陣に参加してくれた鈴木健勇君とその友達が合流。一緒に銭湯に行き有賀さん宅で夕食。
振り返り・翌日の予定確認。
実際に富岡町を見たり、和尚さんの話を聞いて、より現実的に分かった。冨岡町の家の破損状況+汚染物質の黒いかたまりを見て、とても衝撃的でとてもショックだった。
2月14日
有賀さん宅で朝食。
タクシーで小名浜第二小学校へ。そこからシャトルバスでサンシャインマラソンゴール地点の小名浜港アクアマリンパークへ移動。
フルマラソン参加者の荷物返却ボランティアをさせていただきました。
Gakuvoのメンバーも数人ずつ班に分かれ地元の高校生や大人のボランティアの方たちと活動させていただきました。
お手伝いの高校生はとても素直で接していて感動した。被災に関しては聞く勇気がなかったので一切ふれませんでした。
手伝いで触れ合うことができなかった学生と話すことができて良かったです。しかし、震災を経験しているため相手の当時の背景を考慮しながら話さないといけないことを痛感しました。明るく元気で無邪気、きちんと明日、将来に向かって進んでいることを知って、私たちが勇気をもらいました。ランナーさんとも触れ合い1日で多くの方とコミュニケーションをとることができました。
16:00のシャトルバスに乗りいわきへ。
いわき駅周辺で食事。銭湯。
振り返り・翌日の予定確認。
最後の時間が取れるミーティングは感情が爆発しました。真夜中までとことん話、睡眠は2時間しか取れなかったです。
最も印象的なのがミーティングです。私は原発事故後から気にしていたことについてメンバーに質問しました。みんな気を遣いながらも、真実を伝えようとしてくれました。ただ大学で出会っただけという友人には出来ない質問をできたし、みんなもそれに応えてくれました。その後は私たちがボランティアを終えてから、どうすべきかについて長時間考えました。これも上の事と同様に、大学の友人同士ではきっとできないと思います。
2月15日
寮と有賀さん宅の清掃。
有賀さん宅で朝食。
タクシーでオリーブハウスへ。
オリーブの苗木を4号から6号の鉢へ植え替える作業させていただきました。
初めは難しそうでしたが徐々にコツをつかみ夢中で作業を行いました。
作業途中に理事の木田さんが顔を出してくださりオリーブプロジェクトのお話を伺うことができました。
お昼は舟生さんのお話を伺いながらスカイストアさんのお弁当をいただきました。
舟生さんは気さくでとても陽気な人でした。私が質問でオリーブの栽培を辞めたいと思ったことがないかと聞いた時、毎日の観察が楽しい、プレッシャーが楽しいと言ったことに対して、とても驚きました。自分にとっては考えられないことだったので、そのような考えもあるのだと思いました。
13:30タクシーで寮に戻り、振り返り・アンケート記入
17:00発のバスに乗り東京駅へ。
解散。
このプロジェクトに参加することで、単に事実を知るだけでなく、様々な面、立場から深く被災地について、初めて「考える」ことができるようになったし、さらに仲間との出会いで自分の信念、人生観についても影響を受け、新たな可能性を感じることができるとは思いもしなかった。
自分達よりも苦しい立場にある人に弱みを見せず、必死で活動することで初めてボランティアになり、そうでなければ逆に相手に迷惑をかけるだけであるということに気付くことができ、自己満足な考えから、その本質を体験でもてたことは本当に良かった。
今回参加の仲間は個性は強いけれど、皆、思いや考えの根幹は共通していると私は感じつつ、普段周りにいるボランティアを意識が高いことと感じる人とは異なり、自分の本心を出しても良いと思える人は、人生でもほとんど出会ったことがなく、意見を聞くのは参考になるし、1対1で話す機会では、人生で誰にも言えなかったことを純粋に聞いてもらえて人生観も変ったし、自分の考えにも新たな可能性、選択肢を感じることができた。
今回の活動は本当にデリケートで、とても難しいことを考えさせらえるものになったと思います。理想と現実での葛藤、原発の被害、金銭支援の格差、心のキズ、どれも一概には答えがでないものばかりでミーティングしても全く答えが出ないものでした。今回参加したメンバーは地方、学科の専門がバラバラで多彩な見方で意見をそれぞれ出していて、非常に濃い議論を4日間行うことができました。このような経験という物は、そう簡単にできるものでないので、非常に貴重な経験だと思います。
今回0から街を創り上げる現場を見て、都会に住んでいるときには気づけなかったことに気づかされました。それは「人」が“すべてのモノを作っている”ということです。家を建てているのは「人」でした。コミュニティを築いたのも「人」でした。そういう人間の営みの積み重なりで社会ができているということに気づくことができた4日間でした。
今後考えていきたいと持ったことが2点ある。1点目はボランティアのあり方だ。具体的にはボランティアと被災者のコミュニケーションの取り方である。1.2日目は語り部のような震災について気兼ねなく聞ける人との交流がメインだった。しかし3日目は、自分より年下である高校生と接したので、自分の対場や言動について改めて考えさせられた。特に何気ない会話や単語から、被災者を傷つけてしまう可能性もあるので慎重になった。どこまで踏み込んで尋ねて良いのか分からず。そこが大変難しい所だった。この点に関しては課題が多く残っている気がする。2点目に被災地に関する情報について正しく知る重要性だ。2日目に、福島第一原発の近くまで行った際、単純に「怖い」と思ってしまった。放射能に関しては、目に見えない、加えて線量計も自分は持っていない。そのような状況下で人は冷静でいられないだろうと自分の身を通して実感した。震災から4年経って情報が沢山あってもそうおもったのだから、3.11当時原発近くの住民はどんなに不安だっただろうと考えさせられた。だからこそ正しい情報を伝えていく知ろうとすることが重要なのだと思う。しかし正しい情報を伝えても風評被害が広がることはあるので、どのようにするか、その“手段”の重要性を再認識したような気がする。
原発事故の影響によって苦しんでいる現状も見れたのと同時に震災があったからこそ人々、特に若者が強く生きようとしている現状も見ることができた。これらを踏まえて、自分の原発に関わって再生エネルギーを普及させるという夢への思いも思考も深くすることができた。
実際、このプロジェクトに参加する前は、この4日間がこんなにも有意義で深い時間になるとは思っていませんでした。
今回のボランティアを通して、理由は様々でも同じ一つのことに興味があって集まった仲間たちと、それぞれどう感じて考えて、そして私たちがこれから、どう復興に貢献していけるかと話し合った時間は、私にとって本当に貴重な経験となりましたし、意見交換し合うことで自分の視野が広まり、一人で行動を起こすよりもより深く学ぶことが出来たと思います。今回この機会を逃してしまっていたらきっと風化に飲み込まれてメディアからでさえも情報を得ようとしなかったと思います。被災者の方々がおっしゃっていた「伝えていく事の大切さ」は私たちが直ちにとりかかれるボランティアの延長だと思います。まずは興味をひくことから始め時間がかかっても福島の復興に協力していけたらとても嬉しいです。
今回4日間の活動は、なかなかやってみようと思ってもできないものであったと確信しています。初めて会った仲間、現地の人々、行動から考えの幅広い面で誘導、あるいは手助けをしてくださった板倉さんとの出会いが今回の特に私のキーポイントであったと感じています。
私たちを引き連れて、考え、行動の手助けをしてくださった板倉さんには本当に感謝しています。寝たいはずなのに、ずっと付き合ってくださって尊敬できる大人だと思いました。
福島の皆さん、ありがとうございました。
132陣に参加した皆さん、引率の板倉さん、お疲れさまでした。
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