チームながぐつプロジェクト 第137陣 福島県いわき市行き 活動報告
チームながぐつプロジェクト第137陣 福島県いわき市行き 活動報告
期間:2016年4月22日~4月24日
場所:福島県いわき市
活動内容:
1日目: オリエンテーション~高速バスでいわきへ(車内にて夕食)~振り返り。
2日目: 朝食~オリーブプロジェクト(昼食)~長源寺~夕飯~銭湯~振り返り。
3日目: 朝食~富岡町視察~浜風商店街(昼食)~ご本家の掃除~3日間の振り返り
寮の掃除~アンケート記入~高速バスで東京へ(車内にて夕食)~東京駅にて解散。
太文字部分は、参加者が日程終了時に書いてる報告書の中から抜粋したものです。
※掲載した文章は全文でないため、ご本人の意図と若干異なる場合がございます。ご了承ください。
4月22日(1日目)
オリエンテーション後、高速バスで約3時間のいわきへ。バス停に到着すると、有賀さんが待っていてくださいました。
有賀さんとのご挨拶を済ませた後、有賀さん宅にて自己紹介と、今回、お世話になる方々の紹介資料を確認し、明日からの目標を「積極的に挨拶をし、受け入れて下さる方の事を考える」に決めて23:30頃終了。
4月23日(2日目)
7時からの朝食後、いわき駅よりバスにて約10分のところにある、オリーブハウスへ。
舟生さんの指導の下で、最初にオリーブ畑にて、約30分間オリーブの剪定作業をしました。初めての作業でしたが、今回の男子学生2名は要領よく、スムーズに剪定作業をしていました。
その後、再びオリーブハウスに戻り、挿し木作業に取り組みました。オリーブ畑で剪定してきたオリーブの枝から、ハサミを使って、挿し木の準備をしました。この作業は、枝の選定から節の切りかた、葉っぱの残し方など、注意点があり細かい作業だったのですが、2人は細かい作業が得意なようで、舟生さんとの話が弾む中、テキパキと作業をしていました。
お昼、オリーブプロジェクト代表の松崎理事長が、スカイストアのお弁当と差し入れのお菓子を手に、足を運んでくださいました。昼食をとりながら、松崎理事長よりオリーブプロジェクトのいきさつ、現在の活動状況、今後の予定などについて、約1時間に渡ってお話を伺うことができました。
舟生さんはとても明るくて、本当に震災があったのか分からなくなったが、その後松崎さんが来て下さり震災の話をして下さった。その時初めて本当に震災があったんだなと実感した。そしてプロジェクトに協力したいという気持ちになった。
昼食後、17時ギリギリまで挿し木作業を続け、畑の剪定作業30分・挿し木576鉢 太木挿し24鉢の作業をさせていただきました。舟生さんの温かな人柄に、学生達は終日、笑顔で携わる事ができました。
(ハウスで育っていた、ゴマの味がするルッコラをお土産にいただきました)
17時半から長源寺で栗山副住職より、震災当時、ボランティアとして携わっていた時の事から、5年経過した現在の状況、東日本大震災と熊本大震災の違いなども含めて、約2時間に渡ってお話をしてくださいました。その後、震災時の寒い避難所での動けない苦しみや、プライバシーのない空間での苦痛を、20分間の座禅を通して体験。座禅終了後、再び、メモをとりながら、栗山副住職に質問を重ねる学生の真剣な姿がありました。将来、レスキュー隊員になる目標がある学生は、副住職様のお話を伺い、改めて、レスキュー隊員として活動できるように努力したいと思ったそうです。(余談ですが、翌日、二人は、座禅の影響で、背中や腰が筋肉痛になっていると笑って話してくれました)
長源寺に行き本当に貴重なお話をしてもらった。東日本大震災がただの災害でなく、地震、津波、原発だけでなく、その後の2次災害として被災地に傷跡を残していることを初めて知った。心の格差という2次災害。私の中で最も印象的で残酷な現実を知った。その解決方法を考えてみたが、まったく見つからなかった。私の中ではこの問題が今最も深刻であると思っている。そのことについては今後ゆっくりと自分なりに考えていこうと思った。
栗山さんの話の中で、同身について説明された。窮屈な避難所で自由に動けずプライベート空間を失われた人がいる。そこにボランティアが来て何か困っていることはありませんかと聞くが、本当に苦しむ人にとっては「お前に何がわかるんだ」と思うことがあっても仕方ない。被災者の口にする“困ったこと”1つを解決することは困ったことのうちの1つに過ぎず、それを完了して満足するのはボランティアではない。そうした被災者側に立たない、つまり同身を忘れた自分本位のボランティアになりたくないと思う。
自分の満足にやるボランティアと少しでも苦しみを理解しようとするボランティアの気づかいのちょっとした違いが、被災地での軋轢を生んでしまうのだ。両者とも助けたとの思いは同じだが、そこが決定的に違う。そして私がやるべきこと、やれることは苦しみを理解したボランティアを見極めることだと思う。自衛隊や救助隊の専門的な救助や、社会福祉センターの活動の代替えは僕ら学生にはできない。だからこそ、プロの活動を見て学ぶ、今回のように話を聞き実際にやってみる。ボランティアは自発的にボランティアをさせていただくことだと思う。
20時半すぎに有賀様宅に戻ると、お忙しい中にも関わらず、有賀さんが学生達との時間を作ってくださいました。
震災当時の会社の動き、ご自身の体験、いわきの状況などを約1時間に渡って、お話をしてくださいました。
22時すぎからの銭湯を済ませて、夜の振り返りへ。今日のオリーブプロジェクト・長源寺・有賀さんとの時間を通して思った事や、感じた事を話し合い、翌日の富岡町視察ルートの説明をして、情報を共有し、24時頃に終了。
4月24日(3日目)
早朝6時半からの朝食後、有賀様宅の掃除を半分済ませて、JRにて竜田駅へ。
今回も案内をしてくださったのは、楢葉町に住んでいた運転手の山内さん。山内さんが準備してくださった、震災関連の資料と共に(山内さんから貸していただいた) 線量計の数値も確認しながら、タクシーにて約2時間半かけて富岡町を視察しました。
視察ルートは、①天神岬公園(降車し約20分視察)
②富岡町焼却場(降車し約10分視察)
③富岡駅(降車し約20分視察)
④パトカーの碑が移設された公園 (降車し山内さんへの話を含め約20分)
⑤夜の森桜通り(車内から視察)⑥楢葉遠隔技術開発センター(車内から視察)
⑦久ノ浜商店街跡付近(時間があったので案内をしてくださいました)山内さんの丁寧な説明を、メモをとりながら視察。富岡駅に残っている崩壊した家や、パトカーの碑を前に、2人とも言葉が出ないようでした。
浜風商店街に到着し、からす屋食堂さんにて昼食。(有賀さんから事前に手配してくださっていた餃子を美味しくいただきました)早めに浜風商店街を後にし、再び、久ノ浜の視察に向かいました。
津波が来た地域へ行ったが驚いた。5年も経っているのに、とても多くの傷跡が残っていた。衝撃的な光景だった。もっと進んでいるものだと思っていた。
久ノ浜からJRでいわきに戻り、有賀様宅の掃除の続きをして、最後の振り返りをしました。学生たちから「被災地の中に広がる、心の格差があることを知り、考えさせられました」「色々な方の声を聞くことができて良かった」「今後、自分なりのアクションを起こしたい」との声が上がりました。
その後、寮の掃除を行いアンケート記入の時間をとり、いわき駅前のバス停に向かうと、有賀さんがバス車内での夕飯にと、たけのこ弁当を届けてくださいました。
有賀さんの心遣いに、学生2人は、感謝の気持ちで心の中がいっぱいになったようでした。バス車内で、お弁当を美味しくいただき、予定よりも20分ほど早く東京に到着し、笑顔で解散をしました。
約1週間前に九州熊本を中心とした大震災があったためか、それを報道するメディアについてや、災害ボランティアが今やるべきことなどを今回いわきで出会った人から彼らの思うところを聞くことが多かった。皆、自身の震災体験を語りながら、熊本の災害へ何ができるか、すべきか考えていたように思う。それは彼ら自身が被災者としての苦しみや辛さを知っているからこそ真剣に思いをかけていた。何をすべきか意見の差はあれ、被災者を助けようとする気持ちは一緒だ。災害ボランティアやメディアも助けようとの気持ちから被災地に出向くが、ちょっとしたことで批難を買ってしまう。交通渋滞を招いたり「見せ物じゃない!」と怒鳴られたり・・・。
東日本もまだまだ多くの支援があった方が良いと思う。私はこれから、この現状を多くの人に伝えられたらなと思った。そして私の夢は特別救助隊。もっとなりたいと思えた。人のために頑張りたいと思えた。
福島の皆さんありがとうございました。
137陣の皆さん、宮崎さんお疲れ様でした。
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