学生ボランティア派遣 Student volunteer dispatch

チームながぐつプロジェクト第102陣 福島県いわき市行き 活動報告

「大学生ボランティア隊」派遣【第102陣】

期間:2014年11月21日~11月24日
場所:福島県いわき市
活動内容:
1日目: 銭湯、夕飯の後、振り返り。
2日目: 薄磯を視察後、薄磯復興委員会と意見交換。
久ノ浜・浜風商店街、富岡町を視察。
長源寺で座禅と栗山住職より震災時の話を伺う。夜、簡単な振り返り。
3日目: オリーブプロジェクトにて作業補助。
夕方、昨日の振り返りを行い、鳳翔にて有賀様とお食事。夜、振り返り。
4日目: 「プロジェクト傳」の方の案内で、薄磯と豊間の視察
「かねまん本舗」の駐車場にて「えびす講」のお手伝い。
前豊間区長 鈴木様・かねまん本舗社長 遠藤様・「プロジェクト傳」斉藤さま・
「プロジェクト傳」会長 鈴木様・「プロジェクト傳」顧問 山名宮司様より
お話を伺う。有賀さま本家にて、4日間の振り返り。

 

11月21日(1日目)

到着後、銭湯に向かい、夕飯の後、3つのグループに分かれ、「ボランティアとは何か」「ボランティアをする事で、得られるものがあるとしたら何か」を話し合い、その上で「この4日間をどんな姿勢で取り組むべきなのか」を発表し、「今回、私たちはボランティア、手助けではなく、学ばせて頂く、聞かせて頂く姿勢で取り組み、メモをとりながら活動に向き合おう」と、明日からの活動に対する気持ちを共有しました。22:45頃終了

11月22日(2日目)

午前中、バスにて薄磯地区へ行き、薄磯復興協議委員会の室谷ご夫妻に案内をして頂き、薄磯地区の復興に協力している、福島高専の4年生 菅野さん(ビジネスコミュニケーション学専攻で、実家が竜田とのこと)にファシリテ-トして頂き、被災地についてどのように考えていたか→見る前・見た後、意識が変わったか・変わらないか~「どんな薄磯になったら、住みたいか」というテーマで、ディスカッションしました。最後に、竜田出身の菅野さんと室谷ご夫妻の現在の気持ちも伺い、内容の濃い2時間でした。
午後から、久ノ浜の「浜風商店街」で昼食後、震災時のビデオや写真をみせて頂き、商店街の皆さんと交流をしました。その後、竜田駅から富岡町へ、タクシーの運転手さんの案内説明で視察し、富岡駅周辺では、壊滅した街の姿を目の当たりにし、ショックをうけていたようでした。
いわきに戻り18時から、長源寺で座禅を受けました。次のスケジュールの関係上1時間の滞在となりまたが、20分間の座禅、栗山副住職より、震災時の状況や、現在のいわきでの生活の現状などを伺いました。質問したいことがあった学生が数名いたのですが、時間がきてしまい、話の途中で移動となりました。夕飯時(五楽)で食事をとりながら、テーブル毎に、今日一日の事を振り返ってもらい、銭湯に行った後に、(22時半をすぎていた事と、頭の中を整理したいという学生からの希望もあり)明日、振り返りをする事にして、各自で今日の活動について、内容を整理する時間にしました。

11月23日(3日目)

快晴の空の下、朝から「オリーブプロジェクト」の活動でした。舟生さんのご指導を頂き、男子学生は、畑に植えてあるオリーブに堆肥をまく作業、女子学生達は、食材に使用するオリーブの葉を、切断した枝から一枚ずつハサミで摘み取る、葉摘み作業に取り組みました。おしゃべりをしながらの作業を通して、仲間意識が深まったようでした。お昼、オリーブプロジェクトの松崎理事長様が、ご挨拶にきて下さり、短い時間でしたが学生達との交流のひと時となりました。スカイストアさんの美味しいお弁当を食べて元気がでた後も作業に精を出し、舟生さんのビニールハウスに移動してからの1時間半は、鉢植えされているオリーブの「堆肥まき」「葉摘み作業」「葉っぱの汚れをとる作業」の3つのグループに分かれて、16:30まで作業に従事しました。
有賀さま宅に到着してから、昨日の活動の振り返りを行い、「今後、自分たちに何ができるのか」「有賀さんに伺いたいこと」を話し合い、19:30~中華料理店鳳翔にて、有賀様とお食事をしました。
2時間という時間の中で、お食事をしながらも、学生たちはメモを片手に有賀さんの言葉を書きとめ、積極的に質問をしていました。「何でも聞いてもらって構わない」と言って下さった有賀さんから、震災当時の事、ご本家の家の修復の事、東電からの保障の事・子供を持つ親としての思いと会社経営者としての思い・私達に望んでいること等、様々なことを伺いました。「人を受け入れるのは容易ではないはずなのに、どうして私達を受け入れてくれるのですか?」という問いに「ガクボさんとご縁があって繋がったから、お応えしようと思った。田舎の本家は、親戚や色々な方をお迎えするのが習慣になっていて、皆さんのお世話をすることは苦ではない。皆さんが被災地の方々と交流し、見たまま、感じたままの今の現状を、周りの方に伝えてもらえたらと思っています。今回皆さんと出会えたご縁を、大事にしたいと思っていますから、何かあったら声を掛けて下さい」という言葉に、感銘をうけていたようでした。
お食事の後、尼子湯に行き、帰宅後23時半頃からアンケート記入の時間をとり、0時すぎに終了。

~ほっとするエピソード~

有賀さんとの話が弾み、お店を出たのは21:40頃になってしまい、尼子湯さんにお電話し、急いで伺うと営業時間が22時までだったにも関わらず対応をしてくれました。帰り際、リーダーの学生が、「営業時間を過ぎてしまったのに、対応して下さって有難うございました。毎回安く利用させて頂き、有難うございます。今後ともガクボを宜しくお願いします」と言って、隣のコンビニで購入した飲み物とお菓子を渡したと、他の学生から、こっそりと報告を受け、胸が熱くなりました。

11月24日(4日目)

朝からマイクロバス1台で、「えびす講」のお祭り会場、平下高久字下原にあるかねまん本舗へ。
到着後、「プロジェクト傳」のメンバー、遠藤様・斉藤様に乗り込んで頂き案内の中、約1時間、薄磯・豊間を視察しました。震災で被害を受けた「諏訪神社」では、崩壊した鳥居のモニュメントをはじめ、津波がきた際に、豊間保育園の園児ほか、多くの人が駆け上がり命を救われた、豊間にある八幡神社にも足を運び、案内役の遠藤様から、当時の様子を伺いました。また、プジェクト傳が発行した、震災前の街並みを絵で記した地図「あんばさまの町図絵」も見せて頂きました。
10時から、かねまん本舗の駐車場で行われた「えびすこう」と呼ばれるお祭り(約50年前まで、年に2回どこの家でも行っていた、神である恵比寿様・大黒様に感謝する行事)に参加し、会場内で振る舞われていた、ぽーぽー焼き(さんまのハンバーグ)を焼いて配ったり、練り飴の呼び込みをしたり、元気よく笑顔で活動しました。
お手伝いの途中で、かねまん本舗の遠藤社長様のご提案で、たまたま会場にきていた、前 豊間区長 鈴木 徳夫さま(震災前~H26.年3月まで)よりお話を伺う機会を設けて頂き、約30分にわたって、震災当時の様子を振り返って頂き、震災当時の区長として苦労なさったことや、ボランティアに求めていることなどを伺いました。学生からも積極的に質問をしていました。
12:30~かねまん本舗遠藤社長様から、震災から再建までの事を伺い、最後に学生へ「とにかく人を大切にしなさい」と熱い言葉をかけて下さいました。その後、再度、プロジェクト傳の斉藤さんから、プジェクト傳が発行した、震災前の街並みを手書きの地図「あんばさまの町図絵」の説明、また、プロジェクト傳の鈴木利明会長様と、プロジェクト傳の顧問であり、大国魂神社の山名宮司様にもご挨拶頂きました。帰りに、プロジェクト傳発行の「あんばさまの町図絵」を、(学生+私に)一人一冊ずつ、プレゼントしてくださいました。(持参したお菓子は、学生から、かねまん本舗の遠藤社長様、プロジェクト傳の山名様に渡しました)
15時ごろ、ご本家に戻り、4日間を振り返り、一番印象的だったことや、胸に響いた言葉など、今の思いなど、それぞれ自由に発表してもらい、今回の活動の想いを共有しました。夕方、有賀様があいさつと共に、巨大なシュークリームを届けてくださいました。

4日間、こまめにメモをとり、お話をして下さる方に積極的に質問をし、被災地の事を一つでも多く知りたい、被災地の方々の声を拾いたいと、率先して動く学生さんたちの姿が見られました。(この4日間で、聞いたこと・見たこと・ふり返りの内容をノート1冊、びっしり書き留めていた学生もいたほどです)
最終日、21時半ごろ東京駅に着き、参加証明書を渡して解散しようとした時に、学生から引率の私へと、お礼の色紙を頂きました。3日目の夜、深夜までかかって書いてくれたと聞き、涙が出そうになりました。

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参加者に日程終了時に書いて頂いている報告書の中から抜粋したものをご紹介します。
※掲載した文章は全文でないため、ご本人の意図と若干異なる場合がございます。ご了承ください。

 

■活動初日の気持ち

ボランティア活動で、福島の事をもっと知る事ができれば良いと考えていた。、またGakuvoに募集する際、本当に3年半以上経過した福島においてボランティアを必要としているのか、少し疑問もあった。その疑いの真相を確かめることができたら良いと思い、このボランティア活動に取り組もうと考えた。

活動前は、ただ漠然と被災地の方のため、に何か自分ができることをしたいと思っていました。震災から4年が経とうとしている今の福島を自分の目で見たいという思いもありました。また、原発事故の印象が強かったので、福島に住む人々の気持ちを知りたいと思っていました。

大槌町にボランティアで継続して訪れていたので、「被災地」と呼ばれる土地に興味があった。知りたかった。特に福島は「津波」だけでなく「原発」の被害も受けているので現状を知りたかった。

福島に来るのは初めてだったfが、どうしても「原発」のイメーイが強かったです。前回、石巻に活動に行った際、自分が残したメモに「石巻と福島など他の地域の被災者をひとまとめにしてはいけない」と残してあったのだが、その時どうして、そう感じたのかまで書き残していなかったので、その点についても、少し考えながら活動したいと思っていました。また、震災から3年が経った今求められていることも知りたいと思っていました。

最初は海外のボランティア参加したいと思い、ボランティアのサイトを来て、カンボジアに行きたいと思っていました。ですが、まだ体験したことのない国内でできるボランティアをしてみようと思い、このプロジェクトに参加しました。また、内定も決まり、社会人になるにあたって東日本大震災で被害に遭った人や地域に行き自分の目で見て感じたことを多くの人たちに伝えたいと思っていました。

東北に行ったことがなく、ぜひ一度は行って被災地の「今」を見てみようと思いました。震災から3~4年が経過しているので復興が進んでいるのではないか、もしかしたら私たちができることは少ないのではないかと軽い気持ちでした。とりあえず、3.11と騒がれて深い傷跡を残した現場に行って「生」の声を聞いて見たいと考えました。

どんなボランティアなのか、どんな人たちが来ているのか分からなくて不安でした。震災に関しても考えているようで、考えておらず、ただ与えられた情報を受け取る事しかしていませんでした。
ボランティアがどのような意思で行うものなのかについても、考えた事がありませんでした。

震災地に実際にでむくことで、現在の被災地の状況や震災当時のことに関して、現地の方々の生の声を聴くと同時に、自らの目で見て、体感することで、様々なことを学びたいと考えていた。又ボランティア活動をするにあたって常に公平な姿勢を保ち、活動受け入れ先の人々のことを想いやる気持ちや態度を忘れることなく、自分でできることに尽力をつくしたいと思っていた。

福島という現場が見たい。

以前からボランティア活動に興味、関心がありましたが、参加するのは初めてで、参加すること自体に不安を感じていました。
また、東日本大震災に関する知識も一般常識もしくはそれ以下のものしかなく、そのほとんどがメディアからによる限定的な情報ばかりで、今、被災地で何が起こっていて、何が求められていて、今自分に何ができるのか、といったことが一切分からない状況でした。

■活動後の気持ち

ボランティア活動を行う事で、福島sの本当の姿を見ることができた。
しかし、あまりにも多方面から震災を見たために、自分の中で、今回のボランティア活動に対し、また福島県の被災地に対する考えが整理できていない。さらにボランティア活動の必要性についても、この4日間を通してだけでは、本当に必要かどうかもわからず、活動前よりも混乱した気持ちである。

実際に福島の人々と話をすることができて、本当に良かったです。メディアを通してしか見ていなかった福島を自分の目で見ることが、どれほど大切なことなのか実感しました。原発事故だけでなく、津波の被害も大きく、津波で倒壊した家屋を見るだけで、心が痛みました。そして多くの人に被災地の今を見てほしいと思いました。

「福島」のイメージが変わりました。原発に対する考えも放射能に対する考えも変わった。濃厚な時間で様々な人と話すことができて良かったです。

まず、自分が考えていた問いについて出した答えは2つ
石巻は津波で失ったものがあまりにも多すぎること。対して福島は津波の被害を受けた地域より、格段に復興に時間がかかること。
それぞれの被害状況を知った上で、ことらも繋がりを持つ必要があると思いました。

この4日間を通して事前に思っていた“多くの人たちに今の現状を伝えたい”という思いが、より強くなりました。1番衝撃をうけたのは冨岡町の風景でした。震災をうけたままの状態の町で、ものがいたる所におちていた風景を目の当たりにしました。この今の状態を伝えるためには、SNSなどを使って写真を投稿してじぶんがみたこと、かんじたことを載せて広めていく必要があるとあらためて感じました。

実際に被災地に行って、被災地の現状をこの目で見てまず感じたのは、思ったより復興が進んでないということです。そして現地の人との出会い、その体験談を聞いて、様々な想いがあるのだと知りました。3.4年が経った今、風化しつつある東日本大震災の記憶を学びなおし、議論することは、とても刺激になり、考えさせられることが多かったです。

今の活動を通して、本当に多くのことを考える機会を与えていただいたと思います。自分の意見を出し、人と相談して議論するということは、私の生活ではあまりないことなので、とても貴重な経験でした。自分が何かを考えることで、一歩前に進めそうな気持ちになれたので、これからは自ら情報を受け取りにいって、自ら考える事を大切にしていきたいです。
生の姿を見るのが大切というのを痛感しました。
直接見た、聞いた、今回訪れた場所の事は、これからも忘れないです。
本当に貴重な体験をさせていただいたことに感謝しています。

自分が想像していた以上の事を会得することができたと思う。現地の方々のお話をきいたり、ボランティア活動をすることを通して今まで気づかなかったことや無知だったことを知り、深く考えることができた。又、活動者同士でのディスカッションを通して、活動中に得た考えや思いをお互いに共有することがで、さらに自分の考えを整理し、再思考することで、内在化することができ、本当の意見での“学び”が実現できたと考えている。

軽い気持ちではあったけれど、学ぶことが多かったので、より日本という未来を深く考えていきたいと真剣に考える気持ちになった。

実際に現地に行って、自分の目で見て、色々な方からお話を伺うことで、多くのことを実感し、自分の中の価値が考えが変わりました。メディアで報道されていることは、本当に表面的なことで限定されたものであり、「現地に行く」という大切さを感じました。東日本大震災の深刻な被害、悲惨さを知ると共に、そういった震災から立ち直って、前向きに生きる現地の人々の姿を見ることができました。

■今後のボランティアに必要なことは

今回のボランティア活動に参加して、今必要なボランティアとは、継続的、長期的なものであると考えた。なぜなら、この4日間だけでは、自分自身の疑問を全て解決することができなかったし、被災地の方々のことも、ほんの少しの部分しか知る事が出来なかったからだ。

被災地の復興は進んでおり、ボランtェイアとして私たちができることは、活動を通して得た事を行ったことがない人に伝える事だと思います。伝える事は簡単ではないですが、伝える場を作ることもボランティアになると思いました。

立場状況が偏らないように「多くの人の声」を聞く事。それを発信する事。4年目をむかえる今だからこそ「実際に見た事実」を語ることの重要性がが高まってる。被災した県、地域に住むとっても、外部からの継続的なボランティアとの関わりは重要。

災害ボランティアとしてやれることは、少しずつ減っていると感じました。受け入れて下さる側の考え方にもよりますが、人が減った地域で、それでも頑張っている人と一緒に活動するというボランティアは良いのではないかと思いました。ex)オリーブプロジェクト

2日間のワークショップでも行ったことで“どんな町なら住みたいか”が今後のボランティア活動において重要になってくると思います。
例えば若いボランティアスタッフの力で、町の特産物もpRする活動(お祭り・マスコット作り等)を考えていきたい。
この4日間を通して目標であった“被災者の立場になって考える”ということが、実際の現場を見て感じたおかげで、風化を防ぎ、より多くの人にしてもらいたいと思いました。
これから社会人になっても、この4日間で学んだ経験を忘れずに積極的にボランティア活動に参加していきたいです。

実際に被災した方々の交流はとても大事だと思うので今後とも増やしていってほしいです。

こんな貴重な経験をできるボランティアがあることを、より多くの人が知っていくべきだと思います。そのために、この経験を周りの人に伝えていくことが大切だと思います。

ボランティアで得たことをそのまま自己完結という形で終わらせるのではなく、自発的に発信していくということが必要だと思う。事実の風化を防ぐためにも、これは最善の方法であって、私たち参加者に与えられる、次の手段での使命だと思う。

伝えること。

ボランティア活動は積極的かつ継続的に行っていくのが大切だと思う。しかし、現地の作業に素人レベルでできる事は限られており、これからは相談相手になるといった心のケアや震災によってバラバラになり活気を失った町を復興すべく、大学生の企画力を活かして地域コミュニティーが一つになれるようなイベントを考案実行するのも一つの手ではないかと思う。
また、東電や除染作業をしていらっしゃる方、仮設住宅に住まわれている方にも、お話を伺う機会があったらいいなと思いました。

■感想

この4日間、非常に貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました。この4日間の経験は私の人生の中で大きな財産となりました。ボランティアを通して学んだ事を周りの人に伝えていきたいと思います。

とても充実した学びのあるスタディーツアーでした。企画してくださるGakuvoのみなさんの想いが伝わりました。欲を言えば、基本的な情報(訪れる場所・人)があれば、なお良かったと思いました。

今回行程があわただしく、全てのプログラムに全力で取り組めたかというと自信がないのが残念です。

初めてGakuvoさんを利用させていただきました。この復興支援も初の参加だったため、不安(学生同士上手くやっていけるのか)がありましたが、1日1日のプログラムを通して、より絆が深められました。違うだいがくの友達ができて、本当にこのプロジェクトに参加できて良かったです。102陣最高

信じられないような値段で、3泊4日の東北のボランティアに行かせてもらって、たくさんの人々と交流させてもらえた事は、とても良い経験になりました。また、たくさんディスカッションの場があり、他の人の意見交換をするのは刺激でした。

タイトなスケジュールを総括してくださった宮崎さん、スケジュールを考えてくださった方々、ボランティアを受けてくださった方々に本当に感謝しています。ありがとうございました。

このような貴重な体験をさせていただける重要な機会を与えて下さいまして、本当にありがとうございました。この活動に参加することができて大変光栄でした。
再度機会がありましたら是非参加させていただきたいと思います。ありがとうございました。

共有する時間が本当に大切だと思います。

今回はこのような素晴らしいボランティア活動を企画していただきありがとうございました。
過密スケジュールの中でも、学生の意思を尊重して、現場の調整をしてくださった宮崎さんには、心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。ただ話、作業、食事など、中途半端になってします場面があり、それぞれ対応してくださった相手側にも失礼があったのではないかと思い、今後は対処していくことが必要であると思います。

■報告書からの抜粋

今回のボランティアに参加して多くの気づきがありました。
1点目は福島の被災の復興についてです。私はテレビなどの放映機関が流す情報をそのまま真実であると受け止めていました。
しかしながら、現地へ実際に行き、自分の目で見た被災地はテレビで放送されたものと全く違いました。
確かに復興が進んでいますが、まだまだ被災の酷かった地域に於ける復興は進んでおらず、特に放射能で汚染された地域がまず除染が優先して実施されるため、建物や町の整備が二の次にされていました。
そのような事実を知る事ができて、自分が情報に降り回されていた未熟や福島に対する無関心に改めて気づくことができました。
今後はより長期的、継続的な活動を行っていかなければボランティアとしての役割ははたせないと気づくことができました。
今後もこの仲間と交流を継続し、また新たな仲間に出会う機会に飛び込んでいきたいと考えます。

実際に福島の人々と話すことができて、本当に良かったです。
メディアを通してしか見ていなかった福島を自分の目で見ることが、どれほど大切なことなのかを実感しました。原発事故だけでなく、津波被害も大きく、津波で倒壊した家屋を見るだけで心が痛みました。そして多くの人に被災地の今をみてほしいと思いました。

薄磯地区を視察した際は、津波で流されなかった家がポツンと建っているのを見て津波の恐ろしさを肌で感じました。
浜風商店街では、福島の人々の絆を感じました。冨岡町では被爆、津波の被害が未だに生々しく残っており、どれも全て衝撃的で、時間が震災の時から止まっているようでした。
メディアでは報道されなくなったこのような現実を伝えていかなくてはいけないのだと改めて感じました。
除染、復興全てが終わるのは50年も先になるだろうという話しを聞いて、このまま風化させてはいけないのだと強く思いました。
たとえ小さなことでも行動することで相手に喜んでもらえるという経験をすることができ本当に嬉しかったです。

「福島」のイメージが変わりました。
原発に対する考え方も放射能に対する考え方も変わりました。
濃厚な時間で、様々な人と話すことが出来て良かったです。
今回「福島=原発」というイメージから「福島=地震、津波、原発」という理解に変化したことが一番の学びであったと思います。
それは、多くの地域を訪れ、そこに住む様々な立場の人々の生の声を聞けたからだと思います。
「原発事故の影響で人々が分断されてしまったこと」、故郷に残ると決めた人と別の地域で暮らす人では放射能に関する考え方も原発に関する考え方も異なります。
フクシマとひとくくりできません。被害状況も町の復興状況も補償の額も全然違います。

「風評被害」というワードをいわき市内ではよく聞きました。
被災前の豊かな町をもっと知るべきです。穏やかで漁業の盛んな町でした。
プロジェクトの冊子も印象的でした。
昔の暮らし、町を記録し伝える。知る。重要です。また、今回出会えた人と再会したいです。

石巻は津波で失ったものがあまりにも多すぎること。
対して福島は津波の被害を受けた地域により格段に復興に時間がかかること。
それぞれの被害状況を知った上で、こちらも繋がりを持つ必要があると思いました。

福島県というと「原発」というワードばかりが出てきて、どうしても具体的な状況が分からないまま、活動に参加していました。
到着して感じたのは、石巻と同様「駅前は普通じゃん」ということです。
しかし未だ家や車といったがれきが残っている冨岡町を見た時はやはり驚きましたし、これは原発のせいで遅れてしまったんだろうなと思うと福島の受けた被害を改めて認識できました。
また、薄磯や久ノ浜といった地域では、次のスッテプ“まちづくり”の段階に移りつつあるのではないかと感じました。
大学でまちづくりを勉強している私にはワークショップは大切、有意義なものとなりました。
また、今回の活動で得た大きな収穫の一つに仲間との出会いがあります。
こんなに多くの同じ問題意識を持つ仲間に出会えたことは大切な大きな喜びです。
一人では気付けなかったような指摘、自分にはない積極性、私の知らない活動を頑張っている話を聞けたこと等々挙げたらキリがないのですが、この仲間達と意見を共有しあい真剣に取り組めたことがとても良かったと感じています。

今回、本当に多くの方にお会いして自分自身、消化しきれていないことがたくさんあります。
ただ言えるのは「どれが正解」というのは無いこと。時に気持ちに寄りそうことは必要でしょうが、外から来るボランティアだからこそ冷静ななものの見方をしなくてはと感じました。
仲間内で出た課題として「発信」があります。
今回考えたこと、みたこと、感じたことをどう発信するか考え続けたいと思います。

多くの人たちに今の現状を伝えたい”という思いが、より強くなりました。1番衝撃を受けたのは冨岡町の風景でした。
震災を受けたままの状態の町で、物がいたる所で落ちていた風景を目の当たりにしました。
この今の状態を伝えるためにはSNSなどを使って写真を投稿して自分が見たこと感じたことを載せて広めていく必要があると改めて感じました。

このボランティアに参加するにあたって、まず最初から思っていたことは「被災された人の立場になって考える」ということでした。

4日間の活動の中で一番印象に残っていることは3つあります。
1つ目は毎朝の朝食の有り難さです。
ご飯と宿をお貸ししてくださった有賀さんのお話を聞く事ができました。
「何故このプロジェクトに協力しているか」という質問に「縁があったから」と答えてくださりました。
確かに、この4日間でプロジェクト以外に関わったいわきの人々は温かく人情があふれる町であると思いました。
日々の当たり前の事でも感謝をし、人と人とのコミュニケーションを大切にしていきたいと感じました。

2つ目は冨岡町の現状です。
ここで見たことをSNSなどを使って多くの人に知ってもらい、1日でも早く住民の人たちが戻って暮らしていけるような環境をつくりたいです。

3つ目はオリーブ畑のボランティアです。11名のスタッフがいても大変だった作業を1人でこなしている舟生さんの姿を見て、私にできる事なら少しでもいいからお手伝いしたいという気持ちが大きくなりました。
実際の現場を見て感じたおかげで、風化を防ぎ、より多くの人に知ってもらいたいと思いました。

実際に被災地に行って被災地の現状をこの目で見てまず感じたのは、思ったより復興が進んでいないということです。
そして現地の人と出会い、その体験談を聞いて、様々な想いがあるのだと知りました。
3年半が経った今、風化しつつある東日本大震災の記憶を学び直し、議論することは、とても刺激になり考えさせられることが多かったです。

東日本大震災の起こった日、私は高校2年生で、学校で授業を受けていました。
あの日、私はただ長い地震に戸惑い、先生の指示通りに机の下に潜って避難しました。
思えばあの時、東北のある地域では津波が発生し、信じられないような景色の中、たくさんの人々の命が失われたのです。
それから3年の年月を超えて私はやっと被災地に赴くことができました。一番衝撃だったことは、冨岡町で、ほとんど津波に襲われたままの状態の町を見た事です。
津波に襲われて全壊している家屋を呆然と見ていると現地の人が瓦礫化した家を指さし「こんなになっても人間は生きているのだから、あなたたちもこれから色んなことがあるだろうけど負けちゃだめよ」と力強く言ってくれました。
私はそれを聞いて、人間とは簡単に死んでしまうものだけれども、逆境でも、それを乗り越える強さを持っているのだと強く感じました。
復興には、まだまだ時間がかかること。50年は続くという原発の問題。支援金についての区分、被災者同士の軋轢などなど。津波以外にも様々な問題があることを身を持って知る事ができました。
期待以上のことを学ぶことができたと感じています。
この4日間、いろいろな大学、いろいろな境遇で育った10人でたくさん議論し考えた時間はとても有意義で刺激的なものでした。
今回の活動を通して、本当に多くのことを考える機会を与えていただいたと思います。
自分の意見をだし、人と相談して議論するというのは、私の生活ではあまりないことなので、とても貴重な経験でした。
自分が何かを考えることで、一歩前に進めそうな気持になれたので、これからは自ら情報を受け取りに行って、自ら考えることを大切にしていきたいです。生の姿を見るのが大切ということを痛感しました。
直接見た、聞いた今回訪れた場所のことは、これからも忘れないです。本当に貴重な体験をさせていただいたことに感謝しています。

あっという間の4日間が終わりました。
とても有意義な時間でした。参加する前はどんなことが起きる4日間なのか本当に緊張していました。
依然気仙沼を訪ねたときは、半日しかいれず、被災者の方のお話も少ししか聞けませんでした。
ただ目の前に広がる景色に唖然としました。
今回のボランティアでは、たくさんの考える機会を与えてくださいました。
震災のその後、それぞれの思い、これからのこと等本当に様々なことを考えることができました。またその意見を周りと交換し、ディスカッションすることによって、本当に多くのことを知ることができました。

まず訪ねた先の方たちは震災に対して、思っていたよりもずっと前向きでした。
時間がそうさせた、それまでに計り知れない苦悩があったとは思いますが、当時のこと、それぞれの思いをここまで聞くことが出来るとは思っていなかったです。
そして、ボランティアに対して求めること、それは風化させたくないから、人に伝えてほしいから、何か一つでも考えてほしいということでした。

実際に被災地を見て、現実の世界には思えない部分が多くありました。
今歩いている場所で、見ている場所で、いったい何が起き、誰が何をしていたんだろう。そんなことを考えていると、恐ろしい気持ちにもなりました。
特に富岡町に関しては、人間味がなく、工事をしている人しかいないことに驚きました。
ここに昔は町の人の笑顔があったんだろうなと思うと、人気のない姿にやるせない気持ちになりました。人がいるというのは、本当に暖かいことだと思いました。

福島は地震による津波だけでなく、原発の問題があります。
これは復興と一言で言っても他の県に比べると、本当に大きな課題となってきました。
町の人たちのお話からは、義捐金と行政とのジレンマに関するお話がとても多く聞くことが出来た気がします。正直、そういうことが問題になっているとはあまり思っていない部分がありました。この4日間で学べたことは計り知れないほど多かったです。今できること、それを考え行動していくことが大切だと痛感しました。

自分が想像した以上の事を会得することができたと思う。
現地の方々のお話をきいたり、ボランティア活動をすることを通して、今まで気がつかなかったや無知だったことを知り、深く考えることができた。
また、活動者同士でのディスカッションを通して、活動中に得た考えや思いをお互いに共有することで、さらに自分の考えを整理し、再思考することで、内存化することができ、本当の意味での“学び”が実現できたと考えている。

今回の活動を通して、現場の状況やそこに付随する問題を理解するためには、自らその地に赴き、実際に見て聞いて体感するという一連のプロセスが重要であるということを改めて感じ。その過程の中で今まで知り得なかったことや、気づかなかったこと、または自分が思い込んでいたことと現実の間にある差異など、様々な新しいことを吸収できたと思う学び得たことはたくさんある、ここに全てのことを綴ることは不可能なのでその中でも最も印象に残った以下について、中心的に述べたいのは、①震災によってもたらされたプラスの作用②防災に対する意識③活動者と活動受け入れ先④私達にこれからできることの4点だ
まず一つ目の震災によってもたらされたプラスの作用とは、実際に被災地を訪れ、たくさんの方々の生の声をお聞きすることを通して、私が最初に得ることができた震災に対しての新しい考えだ。震災とは一般的に負の出来事としてそのマイナス面ばかりが強調される。
しかし、今回の震災によって生活が強制的に瓦解された人々が寄り集まり、協力し、支え合いながら復興という一つの共通ゴールに向かって前進して行っているその力強い姿や街全体の様子をみて、震災という非日常的な出来事が起きたことで逆に地域全体や外部(ボランティアや支援者など)とのネットワークや、人々のつながりが強化されると同時に、新たな絆が生まれるというプラスの作用ももたらしたのではないかと思える点が多々あった。復興が実現した際には「あの震災があったから私たちはここまでこれた、又は、今の自分たちがいる」と多くの方々が思える(自分達を誇りに思う、自信をもつ)ような成果が生まれるといいと心から思う。
二つ目はに日本人の防災に対する意識の低さだ。日本人の”災害慣れ”や””天災の非日常化””に伴う防災意識の低下といった問題が明確に見えて来ました。この新しい発見は、被災者の方々に直接意見を聞かなければ得られなかったことなので、この点でも現地に赴くことの大切さを改めて感じました。
その他に活動中感じたことは、ボランティア活動者とボランティア受け入れ先の相関関係の重要性です。意義のあるボランティアを成立するために必要なことは、活動者がボランティアを””してあげる””という上から目線の態度をもって行動するのではなく、活動受け入れてくださる人々と同じ目線に立ち活動する、つまり、公平性を常に維持することが一つの重要な点として挙げられる。
しかし、私達のボランティア活動=学びの場や機会を構築するためには、活動の場が必要不可欠です。その点を補ってくださっているのが今回訪れたいわき市のみなさんだ。有賀さんをはじめ、その他多数の方々にお世話になりました。
みなさんは私達に被災地に赴き、実際の体験を通して様々なことを学ぶ機会と場所の提供をしてくださった。
その意味では皆さんもボランティアをする側なのだと感じた。そして、Gakuvoの活動は、活動者(私達)と受け入れ側(いわきの皆さん)の間の相互協力のもと形成されるWin-Winな関係があってからこそ成り立っているものなんだということを改めて強く感じることができた。

最後にこの4日間の学びや体験を経て、今後私達にできることは一体何なのか。自問自答の結果、今回得たものをできるだけ多くの人々に発信するとで、事実の風化を防ぐということであると思った。
そして、重要なのは、伝える側にインパクトを与えることだ。
言葉数は少なくても、聞き手の心に響き、残るような印象的な表現の仕方により、その人の中にどれだけのものが残るかは決まってくるからだ。できる限り自分の言葉で直接的に相手に語りかける、そういった対話を通して情報を発信して行きたいと思う。
また、その際には、相手の中にその情報がとどまり続けるようインパクトのある表現の仕方を駆使することを心がけたいと思う。これが、貴重な体験をさせていただいた私達が被災地の皆さんのために出来ることのひとつであり、重要な使命であると思う。

フクシマに対するイメージが大きく変化しました。
福島といえば、「原発で危ない」という固定観念があった私にとって、このような状況下でも前向きに暮らし、復興を願う人々がいることに驚きさえ覚えました。
原発から直線距離で15キロ地点にある久ノ浜駅周辺では、子どもたちが普通にDSで遊んでいて、小学校も立派なもので衝撃でした。
一方で再興を願って作られた「浜風商店街」の人々に遭うと、様々なことが絡み合う地域の複雑さも感じ取ることが出来ました。
さらに一番近い場所では、原発(F1)から直線で12.13キロの富岡町にも向かい、震災後も被災されたままの残骸を見て3年半がたっても手つかず何も対処できないままの現状に考えさせられるものがありました。
日本の技術の限界を感じ、どこが「コントロール」できるのか、安倍さんに説明していただきたいと思うほどです。
現地の人は、アベノミクスを嘲笑し、「まずは原発だろ」という人もいれば、「俺はある意味、原発の恩恵を受けている。複雑だ」という人もいて、その考えも分かれています。

何が一番変わったかと思えば、「食べて応援」が偽善ではないと感じるようになったことです。
しかしながら、放射能は目に見えない以上、個々人の判断が大切だと思いました。
それは多くの人に聞くに当たり、意見や考え方は様々で「政府を信じている」という人もいれば、「政府なんて信用できない」という人もいて、判断基準は最終的に自分自身の価値観によるものであるからです。
しかし、ただ一つ言えるフクシマの人々の共通点は、「フクシマに住んでいる」という事実です。そこにいる以上、辛くても怖くても、残る以上は覚悟があったはずです。それを正当化するために(たぶん不安ばかりあればストレスにつながる)、「安全」と言っている面もあると思います。それは、フクシマから逃げた人の話を聞く中で、みんな「フクシマは危ない」と正当化したのと同じです。結局、何が危険なのか安全なのかは、自分の目で確かめて考え、メディアを通さず、熟考し、それをみんなで共有することが最大のボランティア(忘れないこと)だと考えました。

実際に現地に行って、自分の目で見て、色んな方からお話を伺うことで、多くのことを実感し、自分の中の価値観、考え方が変わりました。
メディアで報道されていることは、本当に表面的で限定されたものであり「現地に行く」という大切さを感じました。
東日本大震災の深刻な被害悲惨さを知ると共に、そういった震災から立ち直って前向きに生きる現地の人々の姿を見ることができました。

復興には地域差があり、復興が進んでいる町がある一方、3年半経った今も現状が変わらない町もたくさんありました。
しかし、被災者の方が思っていたよりも明るく、前向きだったことは印象的でした。
その背景には、メディアによる情報の減少によって、東日本大震災の記憶、教訓が風化されたくないという思いがあるとわかりました。
また補助金の差で住民内に軋轢があること、「福島出身」というレッテルで内定取り消しや結婚破棄といった人権侵害まがいのことが日本でも起こっていること、行政や国、市民側の意見、主張がかみ合わないこと、メディアの偏った見方、制限された情報内で現実問題としてさまざまな問題が起こっていることを初めて知りました。

また「ボランティアとは何か」「どんな町なら住みたいか」「私たちに今後何が出来るか」などワークショップや反省会など、多くの場所で考えさせられる機会があったことは、より深い理解に繋がりました。
またこういった機会を通して同じ思いでボランティアに参加した学生の意見や考え方を聞く事ができたことも貴重であり、とても刺激になりました。
ボランティア活動で大切なことは「伝える」ことであり、現地の方々もそれを期待しているとおっしゃっていました。
つまり、私たちはこれからが本番なのだと思われます。自分が見聞きしてきたことを伝える事で、災害列島に住む日本人として認識しなくてはならない現状や課題に気づいていけたらいいなと思います。