災害支援 Disaster support

学生インターンが見た熊本地震被災地

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4月14日に発生した平成28年熊本地震。

5月21日~22日にかけて派遣した熊本ボランティア第1陣に、Gakuvoインターン2名が参加しました。

学生ならではの視点から気づいた被災地の現状や支援の在り方について、2人がレポートを記してくれました。

「現地で活動したからこそ知れたこと」インターン安田(千葉大学4年)

5月21~22日、熊本県益城町でのボランティア活動に参加した。

活動した地域は赤紙や黄紙の貼られた住宅が並ぶ場所だった。活動拠点前の通りでは、車は列をなしていたが、人の姿はほとんど見られなかった。歩道には飛び散った石片やガラス片が残されたままだった。

今回は主に家財の運び出しやブロック塀の片付けをさせていただいた。駐車場に設けられた仮設の活動拠点で指示を受け、拠点と活動場所を行き来して活動を行った。

活動場所まで歩く中、倒壊した瓦屋根の家を多く見かけた。地元の方によると、台風に備えるため、あえて屋根を重くしているとのことだった。ある災害のための対策が他の災害では被害を助長してしまうということに防災対策の複雑さを感じた。また、見栄のために瓦を高く積んでいた家ほど倒壊したという話を伺い、やるせない気持ちになった。

また、倒れたブロック塀の断面を見ると、明らかに鉄筋の量が少なく、十分な強度でつくられていないようなものも見られた。外見だけで安全だと判断してはいけないことを実感した。

参加した他の大学生は被害の様を目の当たりにして、「あまりリアルに感じない」と口々に言っていた。そう感じたのは、「元の様子を知らないからではないか」とも言っていた。その会話を聞き、見えている範囲だけで考えていると、その地域の方々に失礼な言動をしてしまう可能性があることに気づかされた。外部の人たちには瓦礫に見えても、そこに暮らしていた方にとっては、木片ひとつでさえ大切な家の一部だということを忘れてはいけないと思った。

今回の活動で、家一軒の家財を運び出すのに必要な人数や時間等を体感し、何がどう大変なのかを身をもって知ることができた。活動に参加する前、テレビの報道等で何となく知った気になっていた自分を反省した。

現地に来てみないとわからないことがある一方、様々な事情で現地に行くことができない人もいる。そうした人たちに今回見聞きしたことを伝えていきたいと思った。

 

「違和感~今私たちにできること~」インターン脇川(明治大学4年)

自分の中での違和感が最後まで抜けないそんな活動という印象があった。

それはなぜか。

感じた違和感というのは二つある。一つはいい意味、一つは悪い意味を含んでいる。

現地での違和感、それは現実の私たちの生活とのかい離だ。被災地で間の当たりにした「壊れた家々」や「避難している現地の人々」いくら事前にわかっていたとしてもいざ現地で目にすると、違和感と同時に自分の無力感、そして悔しさを感じぜずにはいられない。

おそらくこの違和感には数多くの人々が災害ボランティアに行けば必ず感じるものだと思う。日々自分が生活している世界の大きな違和感、倒壊した家を見て、そこで活動すれば誰しもが感じるもの。

もう一つの違和感は、皆がそれぞれ違うものを感じながら仕事をしていたという違和感である。皆がそれぞれ複雑な思いを抱えて仕事に取り組んでいる姿が印象的だった。時期が時期だけに衝撃を受けた人もいると思う。しかしその違和感を持ちながらも自分が何かできる、何かしたいという思いでボランティアに参加することは現地の人々にとっても僕たち学生、ボランティアにとっても悲しみを乗り越える重要な要素ではないだろうか?

学生だからこそ多くの違和感を感じることもある。日々の生活ではおそらく被災地とかけ離れた生活をしていると思う。しかしボランティアやこういう機会で日常とかけ離れた経験をすることで、少しでも「他の人たちに伝えるという」という重要な役割が務まるのではないだろうか。

学生が果たせる役割というのは決して多くないし、多くはできないという自覚を持って仕事をすることが重要だと思う。その中でもやはり私たちが出来る大きな仕事がつたえるという仕事だと思う。被災地での学生ならではの違和感を多くの人たちに伝えていく。今できる、そして今後も伝え続けていく。多くの人に知ってもらうことで新しい支援の形が見つけることがえきればと思いながら、活動に携わった。